【正田醤油本社について】
 正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。
 そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。
 新本社はもともと醤油の仕込蔵でありました。ここで一寸醤油のつくりかたに触れますが、原料の大豆を蒸し、小麦を炒ったものに麹菌を繁殖させ、それを食塩水の中に漬け込みます。これが諸味と称するもので、これを桶の中で一年間醗酵させ、それをしぼったものが醤油であります。仕込蔵はその諸味を入れておく桶の蔵であり、桶1本60石(約10,000L)の大きさのもので、この2つの蔵に約200本入っておりました。出来上がるのに1年間かかるのでこの様な数の桶をもっていなければならなかったわけであります。
 これが近年、金属製の醗酵タンクで温度管理をする方式となりこの仕込蔵は役目を終えました。その後は一時製品倉庫としても使用しておりましたが、新設の物流倉庫にまたその役目を譲り、しばらく静かに佇んでおりました。
 そしてそこに現れたのが、前々から建てようとしていた新本社として、この仕込蔵を再生させようという案であります。旧本社は研究所と同じ3階建ての棟にあり、20年近く相方共に手ぜまになってきておりました。そこでそれは研究機関でつかうことにし、その仕込蔵を創業130年記念事業の柱として新本社に再生することにいたしました。平成16年11月1日に竣工いたしましたこの新本社は環境配慮を念頭に置き、古材を積極的に利用した上で、設備では決して妥協のない最新鋭の技術を集約した建物になりました。まさに“古いものと新しいもの融合”であり、当社の社風を形で表したような建物です。そして今、明治大正にかけて作られた文化遺産ともいうべきこの建物を残すことは大いに意味があったと自負しております。
 いずれ多目的ホールである『文右衛門ホール』、隣接する『正田ギャラリー』等は、皆様にも開放して文化向上のお役にたてばとも思っています。

取締役 相談役 正田宏二

登録有形文化財とは
 平成8年10月1日に施行された文化財保護法の一部を改正する法律によって、保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を文部大臣が文化財登録原簿に登録する文化財登録制度が導入されました。
 この登録制度は、近年の国土開発、都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代の建造物を中心とする文化財建造物を後世に幅広く継承していくため、届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度であり、従来の指定制度(重要なものを厳選し許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです。
 
 

【正田稲荷神社】
 もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。
  以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。
  一方、本殿は天保年間(1830年代頃)、羽生町の宮大工・三村正利により設計・建築されたものといわれる。

 

【正田記念館】
 正田家が米穀商を営んでいた嘉永6年(1853年)、居宅・店舗として2代正田文右衛門が創建した。明治6年(1873年)の醤油醸造業開始、大正6年(1917年)の当社設立以後も、本社屋として昭和61年(1986年)まで使用された。
  この翌年からは「正田記念館」として、正田家と当社の歴史にゆかりある品々を公開・展示している。

【正田醤油文書蔵】
 文久元年(1861年)の創建と伝えられ、当時は「内蔵」と称された。縦2間3尺・横2間の2階建,堅牢な漆喰塗で、瓦には正田家の紋である九曜紋と、商号である「山ト」印があしらわれている。

 
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正田醤油の歴史

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